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視力2.0が正攻法でメガネを入手するまで
2022.06.24
9歳のわたし。かしこさ0
すこぶる目が良い家系である。
右も左も冗談抜きで2.0である。マサイ族か?
親戚一同が集ってもメガネが居ない。老眼鏡しか居ない。
当時小学生の私はその圧倒的な知性を体現する、メガネへの強い憧れを胸に抱いていた。
伊達メガネほど寒いものはない。本気(ガチ)メガネでないと意味が無い。視力検査でウソつくなんてもってのほか。
目を悪くするのだ─────
メガネをかけて知性を高めたい。
これは視力2.0が正攻法でメガネを入手するまでの記録である。
今回は「自分をさらけだす」といったテーマで書いています。
自分の中でこだわりの強い部分。メガネだ。たまには自分語りしよう。
伊藤。アラサー。舞台照明→営業職を経て、現在は金型工場で設計をしながら、自社製品を考えたり広報したりしている。あの頃はどうかしてた。
「ダメ」と言われたことを全部やる
さて、目を悪くする方法なんてものはいくらでもある。
「暗いところでゲームしちゃ駄目」
「本を読むときは近づきすぎちゃ駄目」
「テレビを観る時は離れて明るい部屋で」
きちんと全部破った。
かすかな光だけを頼りに、ゲームボーイカラーで遊んだ。
最近になってまたゲームボーイを触って、当時はこんなクソ見にくいもんで遊んでたのかと呆れ返った。
switchやスマホが当たり前の諸君は知らないだろうが、あの頃はバックライトなんてものは無かった。
日光で、電灯で、液晶を照らさなければ見えない。それが当たり前だったから、何も問題無く楽しいゲームライフを送っていた。
(話は脱線するが先日、MOTHERシリーズを快適にプレイする為にフロントライト付きのゲームボーイアドバンスSPを購入した。20年前に発売された名機である)(今メルカリでGBAが高騰しているので実家で眠っている人はぜひ出品してみよう)(ちなみに友達にはswitch買えよ!と突っ込まれた)(ちがうんだよなーそれとこれとはちがうんだよなー)
(さて、話を「目を悪くする方法」に戻そう)
テレビは画面に鼻がくっつくぐらいの超至近距離で観た。
映し出されるタレントや芸人ではなくその向こう側にある、光の3原色を観ていた。
ポリゴンショックが起こってからどのアニメにも「明るい部屋で離れて観てね!」と注意書きが入るようになったが、すでにその次元は越えている。
もちろん怒られた。そして同時に不気味がられた。
オカンはこの奇行に対してネバーギブアップの精神が込められているとは知りもしない。
ほの暗い部屋で本もたくさん読んだ。かすかな外の明かりだったり、豆電球だったり、ギリギリ文章が読めるぐらいの明るさだ。ちなみに飼い猫がめちゃくちゃ邪魔しに来る事に当時は割とイライラしてたけど、今思えば宝物のような時間だったな。また邪魔されたい。
この頃は宗田理のぼくらシリーズが好きだった。我が家は誰も本を読まないので、オカンは「あんた誰の子や?」と言いながらも本をたくさん買ってくれた。
字もたくさん書いた。自分の頭の影で手元がさらに暗くなるまで、近づいて書いた。おかげで未だに猫背である。
インターネットの電脳世界にものめり込んだ。もちろん部屋の電気は付けない。ククク……Welcome to Underground…………
でも怒られたらその時だけしばらく電気点けるぞ……
当時はフォント弄り系のテキストサイトやブログ、mixi、2ch、flash動画、朝までYahooメッセンジャーで知らない人とチャットしたり、うっかりブラクラを踏んだり、ひたすらハンゲームで大富豪したりしていた。楽しかった。
しかし自分もジオシティーズや魔法のiらんどで無駄にMIDIの流れるHPを作製したり、周りも周りで痛ポエムを垂れ流してたり、なんだか色々と黒歴史が蔓延っていてもはや今となっては直視できない。
こうして「やたら暗がりで作業するサブカルキッズ」が爆誕し、その生活は高校3年生まで続いた。
いつのまにか当たり前になっていた
メガネへの憧れなんてものはとうに過ぎ去り、ただ眼にダメージを与えることのみが習慣として残っていたある日。
「なんか黒板が見づらい気がする」という話をしていたら、友達が自身のメガネを貸してくれた。
これが……世界の本当の姿…………!!!
大げさではない。黒板の文字も、友達の顔も、外の風景も、色鮮やかでシャープになった。輪郭がクッキリするだけで全然違った風景になる事を知った。
視力検査で引っかからない程度の視力は残っていたものの、やはりマサイの血筋も酷使には耐えられないのだ。
その感動を忘れないうちに、メガネを買ってしまおう。やっとこの時が来た。これまでの苦労が報われる。視力検査で弾かれなくてもメガネを買っても良いらしい。
しかし、家族でメガネをかけている人が誰も居ないので、メガネの買い方がわからなかったのだ。なんだかそれなりに緊張してお店に行ったことを覚えている。
そしてはじめての「自分用ガチメガネ」をGETした。茶色いフレームの丸っこいかわいいやつだ。たしかレンズ込みで5000円くらいで作ってもらった。ありがとうメガネの愛眼。メガネの三城だったかも。
こうして念願叶って手に入れたメガネだが、これがまあ、捗る捗る。まず、見える。本当によく見える。一番後ろの席から黒板の文字が見えるし、信号もクッキリわかりやすくなり、豆電球でも無理なく「ぼくらの七日間戦争」を読める。
これが、「視力2.0が正攻法でメガネを入手するまで」の記録である。よいこはマネしないでね!
この笑顔である。メガネをかけただけでは知性は上がらなかった。
マサイ族にメガネユーザーが爆誕した。
単純に、いっぱい本読んだり夜通しゲームしたりPCに張り付いたりしてたのが家族の中で私だけだったからとも思わなくも……ない
とはいえ、故意に視力を下げることは可能だ。世にも愚かな行為である。
それからというもの、メガネは顔の一部になっている。
メガネも好きだが、メガネをかけている自分の顔が好きだ。男も女も全員メガネをかけるべきだ。外した時・付けた時のギャップにドキッとするから。
その人がかけているメガネで服装の趣味がわかる。おしゃれなメガネかけてる人はおしゃれだし、無難なのかけてる人は無難、でっかいアラレちゃんメガネは全員ギャル曽根だ。
コンタクトレンズにも挑戦したことがある。あれは難しい。何回やっても人差し指に張り付いて戻ってきてしまう。物理的に厳しい。
なによりも、これを毎日こなせる自信が無い。レンズと液体の在庫管理もしなければならない。付けたまま寝たら眼球の裏側に入ってっちゃうんでしょ?知らんけど
メガネは良い。ピッとつけてパッと外すだけである。
現在の自分の視力が0.いくらなのかは知らない。
近視か遠視かも知らない。どっちかに乱視が入ってて左右差があるらしいけどそんな事は興味が無い。メガネをかけた状態で1.0あたりを狙っているかどうかも知らない。
この世はメガネを「かけている」か「かけていない」かだけなのだ。
度も合わないし、今の好みでもないけど、なんとなく歴代のメガネは壊れない限り取っておいてしまう。
もっぱら「アクティビティとかライブの時に最悪壊れても良い用」として保管しているが、メガネはそんなに簡単に壊れない。この赤メガネなんかはZeppOsakaのフロア前方モッシュピットで落としてしまったが、終演後にほぼ無傷で回収できた。奇跡。
コロナが始まってなかなか機会も無くなったが、次の出番が来るまでひたすら待機中。