明るくたのしいみんなの

足跡はくまなく残す!ライフログを蓄積することで達成感を上げよう!

2022.07.20

これが良い事尽くしなのかはわからない。

 

時々、本来の目的を見失っているのではないかと感じる時さえある。

 

でも、ついやっちゃうのよ。
これがモチベーションのひとつになり、いつも自分の背中を押してくれる。

 

【この記事を書いた人】

伊藤。アラサー。舞台照明→営業職を経て、現在は金型工場で設計をしながら、自社製品を考えたり広報したりしている。書籍は本棚に作家名順に並べる。

 

「ログを蓄積する」とは?

例えば夏休みの絵日記がある。
あの日記を8月31日に読み返した時に、なんだか大きな仕事を終えたような気持ちを味わったことが無いだろうか?

 

100マス計算や百字練習帳を埋めるのが大好物だったのも、きっとこれだ。
真っ白な自由帳を細かい迷路で埋め尽くすことも、ハンコを集めるためだけにラジオ体操に行くのも、ちいさくなっていく鉛筆や消しゴムを見て嬉しくなるのも、根幹は同じである。

 

「成し遂げたものが可視化されている」
これに、喜びを感じるのだ。

 

今でも同じようなことをずっとやっている。

ランニングはアプリやウォッチで毎回記録をつけている。

これは増えていく総距離、速くなっていくタイムを見る。
いまはGARMINの時計を装着しているが、心拍数やらなんやら色々と多機能なものの、ほとんど活用していない。もはや距離と時間さえわかれば良い。
ランニングの途中で「しまったスタート押し忘れた!」とか「時計の電池切れた!」なんてことが起きた瞬間に、ランニングをやる意味がなくなってしまう。ログを残すために走っているのだ。

 

関連記事

 

家計簿はマネーフォワードMEの無料版をここ5年くらい使っている。
マネーフォワード|家計簿アプリやクラウド会計ソフト
クレカや電子マネー、あと銀行口座を紐付けておけば、自動的に家計簿を作成してくれる優れモノ。
現金払いしたものはレシートを撮影すると割と高精度に読み取ってくれる。
で、この自動的に作られた家計簿を眺めるのが好きだ。
ただ単に通帳を眺めるより1000000億倍たのしい。

 

仕事でもやってしまう。
金型の設計をしているが、金型を○時間で設計して○時間で製図して、みたいな情報を作成した図面と共にログに残してある。
2019年の冬から習慣化した。そしてこれが2022年1月から7月までの記録だ。長い。

件数と、自分の仕事が金型代の何%を占めているかでスピード感を見ている。

 

学生時代から「量を書いて手で覚える」という方法で勉強をしている。
見やすくマーカーを引いたり、赤ペン入れたり、そういった加飾はほとんどしない。黒一色でズバババと書く。繰り返し書く。
これも、単に埋まったノートをほくほくしながら眺めるのが好きで、むしろノートを埋める為に勉強している。
成績は良かったので勉強方法としては間違えてはいない。

 

読んだ本を読書メーターに記録していくのも好きだった。
読書メーター: 読んだ本を記録して、新しい本に出会おう
感想を自分の言葉でアウトプットするのは良いことだし、知らない人におすすめの本を教えてもらったり、読書量のグラフがどんどん右肩上がりになっていくさまが楽しかった。
が、これはだんだん「読書しなければならない」みたいな使命感がしんどくなってやめてしまった。

 

ライブ行ったらチケットの半券はキッチリ取っておく。
プレイガイドから入手したものではなく、店売りのチケットはライブハウスごとの良さがあって好きだ。
なので電子チケットがいくら普及しようが私は紙のチケットを利用し続けるだろう。

 

何か行動を起こせば、それをコツコツと記録する。
記録とともに生きている。

 

しかしデメリットはある

ログを残すことが目的になってしまう。

 

読書メーターがしんどくなったのもそうだ。
「グラフを上げるために量を読まなければ、そして感想を書かなければ」と、だんだん読書そのものへのハードルが高まってしまった。
序盤に「ログを残すことがモチベーションのひとつになり、いつも自分の背中を押してくれる。」といったことを書いたが、時には背中を押す力が強すぎることもある。

 

ラジオ体操のハンコは、1日でも欠けてしまうと途端にやる気を失ってしまう。

 

SNSだってライフログみたいなものだ。
いつか私も映えのためにタピオカを買っては捨てるような人になってしまうかもしれない。十分にそのポテンシャルがある。

 

あと、モノが溜まる。
完全にいらなくなるまで資料は手元に置いておきたいので、本棚の一番下なんかは「いつの資料だこれ」で溢れている。
いらないな、と決めてしまえばサクッと捨てられるのになあ。
こないだ3年前の資料をサッと出した時にブチョーに「全部取ってんの!?すげえ!!」と驚かれた。ええ。そういうところあるんです。

 

これまで自分は「コツコツ系の作業を得意として、さらに好きである」と思い込んでいたが大きな間違いだ。

コツコツ作業して出来上がったものを見るのが好きなだけである。

 

成功というものは全て努力の上に成り立っているものだと思っている。

 

私の場合、努力といってもその努力してきた”道程”を見るのが好きなだけで努力と言えるのかとも思わなくもないが、結果的にこれは努力だ。

そして、ハンコで埋められたラジオ体操カレンダーはれっきとした「努力の賜物」なのだ。